「葬式や法事の読経は死人のためになる」というのが常識になっています。
しかし、これを迷信と徹底打破なされたのが、実に仏教を説かれた釈尊なのです。
なぜ迷信といわれるのか。それは、お経がどのようにして成立したかを知れば明らかでしょう。
お経とは、釈尊が、苦しみ悩む生きた人間を幸せにするためになされた説法を、弟子たちが後世の人にと書き残したものです。死人になされた説法は一つもありません。生きている時でさえ聞けないものが死んで聞けるはずがないのです。
では葬式や法事、読経は全く無意味なのかというと、勤める人の心構えにかかってきます。
厳粛な葬式を縁に、無常を感じて聞法すれば、極めて有り難い勝縁になります。ただ読経のみで終わっては所詮がないでしょう。
お経に説かれている真実を聞かせていただき、ますます信心決定せねばならぬことを知らされてこそ意味があるのです。