みえ≠フ法灯

浄土真宗親鸞会 三重

盛大な葬式法事は、亡き父母の孝養になるのか?


 先日、突然母が心臓マヒで亡くなりました。平生不孝ばかりしていたので悔やまれてなりません。
 親戚の人たちは、立派な葬式や法事を盛大にすれば孝行になるといいますので、できる限りの葬式を勤めました。法事も欠かさず勤めたいと思っています。本当に亡き母の孝養になるのでしょうか。



 昔から、親を亡くして初めて親の恩を知るといわれていますように、親が生きている間はなかなか子供には親の恩は分からないもののようです。
 あなたのような後悔は、真面目な人なら必ずといってよいほど起きるのではないでしょうか。
 そして、墓にふとんも着せられず、遺骨にごちそうも食べさせられず、どうしたらこの心が相済むことかと苦しむ気持ちは、人の子として当然なことでしょう。

 そこで一般の人々は、立派な葬式や法事を勤めることしか親の恩に報い、このやりきれぬ気持ちを静める方法はないと考え、「お経さまだけが、死人のごちそうだ」などと言う人もあります。
 また、そのように教える僧侶も、たくさんいることも否定できない事実のようです。
 しかし、親鸞聖人や蓮如上人は、絶対にそのようなことを教えられたことはありません。

 まず私たちが、親や先祖の恩に報いようとする時には、親の最も喜ぶことは何であるか、先祖の最も望んでいることは何か、ということをよくよく知ることが必要です。

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お盆は何をする日?

 お盆とは、正しくは盂蘭盆といい、『仏説盂蘭盆経』から起こったもの。ウラボンという梵語は「倒懸(倒さに懸かれる者)」ということですから、『盂蘭盆経』とは、倒さに懸かれる者を救う方法を教えた経ということです。
 では、倒さに懸かって苦しむ者とはだれのことでしょうか。迷いを迷いと思えず、真実を真実と信じられない者は、仏眼からごらんになると、皆、倒さに懸かって苦しんでいるのです。地位や財産、妻子が有れば有ることで悩み、無い者はそれらを求めてなお苦しむ。どこに真実の幸せを喜んでいる人があるでしょうか。弥陀の本願を知らず、すべての考えが顛倒しているから、ちまたには嘆きの声が満ちています。

 お盆は、亡き祖先を救う日ではなく、今現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて未来永劫流転せんとしているわが身自身を救う「聞法精進の日」であることを忘れてはなりません。

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